コロナウイルスと生きる

喜怒哀楽

戦禍にあっても、災害時であっても、テロ禍であっても、

様々な悲しい事件が起きます。

自分自身だったら、自分の家族に起きたら・・・。

恐ろしくなることが多々あります。

私たちは絶対にその事を風化させてはいけないと思います。

そして、教訓として生きていかなければならないと思います。

助かる命がどうして奪われたのか、

今後絶対に起きて欲しくないことが、

今回のコロナウイルスで露見しました。

日本の政府の弱さ、進まないIT現状、

日本人のエゴ等々。

このコロナウイルスと人類は共存していかなくてはいけない。

多くの犠牲を決して無駄にしないでください。

 

 

 

中日新聞より引用

厚労相「誤解」発言、やまぬ批判 保健所に責任転嫁?

2020/5/13 朝刊

11日の衆院予算委員会で答弁に臨む加藤勝信厚生労働相=国会で

新型コロナウイルス対策の陣頭指揮を執る加藤勝信厚生労働相の発言が波紋を広げている。相談の目安として示した「37.5度以上の発熱が4日以上」が基準のように捉えられたとして、この文言を削除するのに伴って「われわれから見れば誤解」と述べた。まるで国民や保健所の理解不足が原因かのような物言いに、批判が相次いでいる。

八日に公表された新しい目安では息苦しさや強いだるさ、高熱があれば、保健所が窓口になっている帰国者・接触者相談センターにすぐに連絡するよう呼び掛けている。同日の記者会見で加藤氏は「目安ということがですね、何か相談とか受診の一つの基準のように、われわれから見れば誤解ですけれども」と話し、都道府県などに弾力的な対応を求めてきたと主張した。

従来の目安は二月十七日に公表された。加藤氏は当時、「風邪やインフルエンザでは三、四日程度で回復が見えるのに対して、これ(新型コロナ)はさらに続いていく」と説明。八日の発言には、この見立てを変えたことを強調する意図があるようだ。

実際、厚労省は三月十三、二十二日に都道府県などへの事務連絡で、目安に該当しなくても柔軟に対応するよう求めている。ただ、相談センターでは「三七・五度」「四日」に基づいて業務が行われていた。PCR検査の態勢が整わず、多くの人を受診させるのが難しかった側面はあるとしても、結果として重症化や死に至るケースが出ている。

今月八日の衆院厚生労働委員会で野党共同会派の柚木(ゆのき)道義議員は、新型コロナで死亡した男性の遺族のコメントを読み上げた。家族が泣きながらPCR検査を頼んだのに断られ、発熱から六日後に検査を受けたものの、入院後に呼吸困難となり亡くなったという。「私たちはコロナの犠牲者ではありません。どこかの偉い人たちが考えた基準によって犠牲になっています」

医師でジャーナリストの森田豊氏も「知人が相談センターに何回連絡しても、発熱して四日たっていないからと検査を断られた」と明かす。「『誤解』との言葉には、怒りというより戸惑いを感じた。検査態勢が整ったので目安を変えると言えばいいのに。医療関係者は目安を信じて守り、つらい人も我慢してきた。大臣は、みんなの気持ちが分かっていないのでは」

加藤氏は十二日の記者会見で、自身の発言への批判について「言葉が適切だったかは真摯(しんし)に受け止めなければならない」と述べ、「保健所に責任があると申し上げているのではない」と釈明した。

責任が転嫁された例は他にもある。四月に入って感染者が増えた時、安倍晋三首相は「専門家の分析」として、三月二十~二十二日の三連休に国民の気が緩んで全国に拡大したと訴えた。

ただ、当時は全国の新規感染者は一日五十人前後にとどまり、政府は東京五輪を予定通り実施する姿勢を崩していなかった。十九日に厚労省が出したメッセージにも「風邪症状があれば外出を控えていただき、やむを得ず外出される場合はマスクを」とある。症状がなければ外出しても大丈夫としか読めず、国民が緩んでいたわけではない。

武田徹・専修大教授(メディア社会学)は「責任は国民側にあるとし、自分たちの責任を回避する自己免責の論法。本当に誤解があったとしても、そうなった責任は『官』にある」と指摘する。

一部の県で緊急事態宣言の前倒し解除の可能性が出てきたとはいえ、コロナ禍は当分続く。国民に理解を求めなければいけない場面はこれから何度もあるだろう。武田氏は「国民を、問題点や対策を理解して行動する相手だと信頼し、言葉を尽くした説明を惜しまないこと」が重要と語った。

(大野孝志)

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