🚨「治った」と「治らない」の狭間で
前立腺全摘手術から、234日が過ぎた。この数字は、私にとって何の希望ももたらさない。 手術自体は成功だったのかもしれないが、術後の現実は、毎日が地獄だ。
尿漏れの状態は、6カ月前と全く変わらない。いや、「変化がない」という言葉は優しすぎる。 これは、身体が私を裏切り続けているということだ。
少し良くなるだろう。もう少し頑張れば、きっと…。そう信じてきたこの半年が、すべて否定された気分だ。 つい先日、私はまた、誰もいないトイレで一時間近くを費やした。 その間、情けなさ、悔しさ、そして「なぜ自分だけ」という絶望感が波のように押し寄せてきた。 いつまでこの、コントロールできない状況に耐えなければならないのか。もう、心が折れそうだ。
💰老後の資金が、後遺症で消えていく
11月から、どうにか週に2~3日のペースで仕事に復帰した。 だが、そのわずかな収入では、失われた日々の穴埋めには到底追いつかない。
手術後、約6カ月間は無収入だった。老後のためにと必死で貯めてきた貯金は、見る間に減っていった。 今は年金生活となり、家計は常に綱渡りだ。 後遺症で必要なパッドやオムツ、リハビリの費用。これらはすべて、私の未来を削り取っている。
「手術後の後遺症の金銭的な負担」という現実は、あまりにも重い。治療した後の「生きるコスト」が、私の生活を、家族の笑顔を奪っている。
💧命綱だったC-PAPを、自分の手で外した日
そして、私は苦渋の決断をしなければならなかった。 平成27年4月18日から、長年、睡眠を支えてくれていたC-PAP(シーパップ)の使用を、11月26日をもって中止した。
命に関わる治療だと分かっている。 しかし、毎月の医療費、レンタル料を、この苦しい家計の中で維持することはできなかった。 老後の資金が消え、次は健康を維持するための治療さえ諦めなければならない。
「経済的な理由」というたった一言で片付けられるが、長年連れ添った命綱を自分の手で切るような、本当に、本当に苦しい選択だった。
🆘この先の道が見えない
身体は治らない。お金は減っていく。そして、生活に必要な治療さえ削った。 身体の不安、お金の不安が、常に私の頭を支配している。
これから先、私はどうやって生きていけばいいのだろうか。 手術を乗り越えた達成感など、今はどこにもない。あるのは、後遺症という重い足かせと、この不安から逃れられないという恐怖だけだ。
誰にも言えないこの辛さ。このブログだけが、私の唯一の叫びだ。


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