02 どうして人の気持ちが分からなくなったのだろう?

喜怒哀楽

こんにちは すきま人のnassuです。

今日は、「どうして人の気持ちが分からなくなったのだろう?」というテーマをお伝えしようと思います。

情報化社会の恩恵

第二次世界大戦後、敗戦の淵から日本は経済大国として成長しました。やがて高度経済成長を果たし、バブル到来、バブルの崩壊を経験しました。しかし、日本はその後、めまぐるしく成長し続け、素晴らしい社会を築いてきました。そして、その発展は私たちの生活を豊かにし、とっても便利な日々を送ることができています
私たちは、多くの生活を便利にしてくれるツールを手に入れてきました。例えば携帯電話·パソコン・電化製品等々があります。
バブル崩壊後、パソコンは急激に普及をし、通信インフラも整えられ、インターネットも急速に普及もしました。私たちは、いつでもどこでも、瞬時に知りたい情報を手に入れることができるようになりました。欲しいときに、知りたいときに自分に必要かつ膨大な情報と知識を手に入れることで、私たちの生活は豊かになりました。今この便利な生活が無くなるなんて事は想像もできないでしょう。

でも、この便利な生活が人と人との繋がりを阻害していると問題視されるようになってきました。

どうしてそのようなことになったのか考えてみることにします。

かつての情報収集はコミュニケーションの学びの場

かつての情報収集と言えば、今のようにインターネットも無く、書籍で調べるか、身近な先輩やその分野に詳しい人を探して直接聞くと言う方法のみでした。
先輩に聞く場合は貴重な時間を自分のために割いてもらうのですから、当然それなりの配慮をしないといけなくなります。それでも先輩から「また困ったらいつでも来ていいよ」なんて言われると、嬉しくなる者でした。そんな人と人との繋がり関わりがたくさんあって、感謝の気持ちも湧き、自分自身の意欲が高まり、素晴らしい人間関係に感動さえ覚えた者でした
また、先輩に教えて貰うためには、先輩を不快な気持ちにさせずに、自分が知りたいことを教えてもらう手段とかコミュニケーションの技術も自然と向上しました
現代よりも
、コミュニケーションを学ぶシーンは数多く存在し、社会の中でさまざまな人と交わり、またお互いに助け合いながら生活をしている事を自覚していたと思います

人との関わりをおろそかにしすぎたことの歪み

私を含めて、今では必要な情報は自分自身でいつでもどこでも手に入れることができます。
誰かに聞いたり、教えてもらったり、また逆に私が教えたりするシーンは少なくなってしまいました。そんな経験をすることも無いので、ネットの情報だけではどうにもできなくなってしまったシーンでは、人との関わり方が分からず戸惑ってしまいます。例えば、職場での人間関係、取引先との人間関係、恋愛関係、友人関係等々。
それは生まれながらにして便利で恵まれた社会生活を送ってきたんだけれども、人間関係が脆弱になってしまった現代生活の歪みが問題ではないでしょうか。
そのような状態で人の気持ちを理解することなどは、非常に難しいと思われます。

まとめ

「情報化社会」が招いたコミュニケーション能力の欠如という大切で重要な問題を理解することが、現代を生きていく上で不可欠ではないでしょうか。
そのためにも人の行動を観察し、その本心を見抜き、素晴らしい人間関係を築く方法を見つけなければいけないと思います。

今日もありがとうございました。

 

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